Why moving abroad?
今日は海外移住を決めるまでにどのような気持ちの変化があったのかをみなさんとシェアしたいと思います。
現在カナダでワーホリをしているわたしですが、ここまで来るには色々な道のりがありました。
*今日の目次*
- 海外に対する想いの変化
- 初めての長期留学、アメリカ
- 日本での壁
- イタリア映画留学
- イタリアから帰国、波乱の半年
- イタリアへ通う!
- 日本で本当に辛かった1年間
- 退職、日本とお別れ
- カナダでのワーホリ
- これからのAMO
- AMOの海外移住決意までまとめ
海外に対する想いの変化
10代の頃はほとんどの時を『英語が苦手』で過ごしてしまったので、海外に住みたいという思いはほとんどなかったように思います。
20歳で初めて海外に行きましたが、この頃はまだ母が生きていたので移住なんて全く考えることなく、
「海外楽しいな〜」
「もっと旅行に行きたいな〜」
そんなことをおもうくらいでした。
それから2年、大学卒業の22歳までに、韓国、シンガポール、トルコ、その他ヨーロッパ諸国など様々な国を旅してきました。
卒業前の就活時期にはアメリカで働いてみたいなと思い、オーペアに申し込み、面接に合格していました。その時点では1年のオーペア体験の予定でしたが、卒業直前に自身の病気が発覚し、1年は通院して経過観察ということになり、行けなくなってしまいました。
その結果、紹介してもらった私立高校で英語の教員をすることになったのです。
その2ヶ月後、母が亡くなりました。
人生は後から振り返ってみると必ずこう進むべきだった、という方向へ進んでいる気がします。
アメリカに行っていたら母と最後の時を過ごせませんでしたから。
今何か迷っている人は、流れに身を任せてその時ベストだと思うことを選べば良いのかもしれません。結局後で振り返ると、パズルのように全てのピースがはまります。
初めての長期留学、アメリカ
その後、母が亡くなり天涯孤独となったわたしは昔からの夢であった『映画制作』を自分の強みである『英語』を使って学ぼうと決め、アメリカに旅立ちました。
教員採用試験も合格していましたが辞退し、年度末で私立高校も退職しました。
この時のわたしは
「海外に移住するぞ!」
というよりは、
「絶対に映画で成功してやる!」
という想いが強かったです。
全ての荷物をアメリカへ運び、帰国する予定はありませんでした。
その想いの強さから、聞き慣れないブラックイングリッシュの壁を乗り越え、アメリカ人のみのクラスで一番をとってハリウッドでのインターンを勝ち取りました。
しかし、不思議なことに人生は色々と面白いもので、予期せぬ事件が起こり、急遽帰国することになりました。
結局アメリカ滞在は約一年半でした。(しかも後半はずっと旅してました。)
アメリカのことはあまり好きじゃなかったし、日本での生活が恋しかったことも事実です。それでも、アメリカで自由をしっかりエンジョイして明るくなって帰りました。
日本での壁
その後、結局3年間を日本で教員として過ごしました。教員として出会った子どもたちは本当に素晴らしく、出会いに心から感謝しています。途中で結婚をし、幸せな時期もありました。
しかし、その他の日本での生活は正直かなり苦しいものでした。
長期留学後、全然日本になじめない‥
もちろん日本での環境にもよると思いますが、わたしは全くなじめませんでした。
日本人としての働き方に疑問を持ち、精神を病み始めました。この頃から夫婦仲がこじれ始め、離婚へも気持ちが向き始めました。
そして別居・退職し、夢だったフィレンツェでの映画制作ワークショップに参加することにしました。
イタリア映画留学
フィレンツェでの2ヶ月の留学生活は最初は困難しかありませんでした。
フィレンツェの人、意外と英語話せない‥!
イタリア語を挨拶と自己紹介くらいしか覚えていなかったわたしは、自分の無力さをこれでもかと感じさせられました。
それでも、すごく楽しかった。(*^_^*)
今振り返るとそれしかありません。美しい憧れの街フィレンツェ。街並み、空気、雰囲気、食べ物、全てが自分に合っていたのか、辛いこともすぐに忘れて毎日楽しんでいました。
その時に初めて
「いつか海外に移住しよう!」
そう心に決めました。
イタリアから帰国、波乱の半年
そこから半年間、まずは離婚を完了させ、新たな人生をスタートさせるためのセットアップを行いました。
イタリア留学で使い切ってしまった貯金を再び貯めるべく、ハローワークに行ったり翻訳・通訳の仕事をもらったり、オンライン英会話講師を始めたのもこの頃です。
正直、離婚の疲れ、引っ越しの大変さ、貯金がないこと、新しい仕事のストレス等でもうメンタルはいっぱいいっぱい。
楽しかったイタリアを思い出す日々でした。
イタリアへ通う!
そしてイタリアに頻繁に遊びに行くようになり(貯金は減る一方)、今の恋人に出会いました。
そしてすぐにプロポーズされ、これで海外移住できる!と完全に浮かれていました。
しかし彼は当時学生、親の反対もあり翌年まで待とうということになりました。
わたしは「彼と結婚すればイタリアに住める!!」ということで頭がいっぱいになり、結婚を求め続けました。彼はわたしからのプレッシャーと学校のストレス、親からの重圧が重なり、別れを切り出されました。
結局その翌日にイタリアで会い、何とかなったのですが、その時に彼に依存していた自分に気付きました。
そして、
「自力で移住しよう!」
と決めたのでした。
そのために結婚は無期限延期。(^^ゞ
日本で本当に辛かった1年間
自力で移住を決めたわたしは、まずはお金を貯めようと、自分が一番簡単に仕事を手に入れられる教員に復帰しました。これが去年の1月のことです。
元々は3ヶ月の予定で、その後はカナダのワーホリに行こうとビザも準備していました。しかし、勤務先との相性も悪くなく、お互いの希望で4月から更に1年の延長を決めました。
そして今年の4月には彼とカナダで暮らし始める予定でした。
それからが地獄でした。
結論から言うと、10月にわたしは仕事に行けなくなりました。学校の前にある教員住宅です。ドアを開ければそこは職場。
一週間行けない日が続き、心療内科を受診。
結果は適応障害の診断でした。
それから退職までの3ヶ月は今はあまり思い出せませんが、彼が一緒にいなかったら死んでいたかもしれません。
それくらい辛かったです。
その結果、
「もう絶対日本には住まない、働かない」
と強く決意しました。
退職、日本とお別れ
退職後、すぐにその町を離れましたが、まだメンタルが整っていなかったわたしはイタリアの彼の家で1ヶ月療養させてもらいました。
彼には大分お世話になりっぱなしでした。一緒にミラノに行ったり、フィレンツェで一人で暮らしてみたり、素敵な思い出を作りました。
少しずつ調子が良くなり、カナダに行く準備を整えました。
カナダでのワーホリ
そして今年の2月、トロントでワーホリを始めました。
イタリアに比べるとトロントにはそこまで魅力を感じませんが、日本にいないというだけでわたしのメンタルはかなり元に戻ってきています。
- 笑うことが増えました。
- むかついても流せるようになりました。
- 友達がたくさんできました。
- 出かけることが楽しくなりました。
- 周りの人に感謝できるようになりました。
こう見ると、一番長い海外生活はアメリカの一年半で、イタリアはトータルで半年、トロントはまだ2ヶ月です。
これで海外のことを語って良いのかもわかりません。
でも日本にいた時より自分が好きです。
やっぱりあの場から逃げ出して良かったな、と思います。退職と引越しは、今思えば前進以外の何者でもありません。
残った人に何を言われてももう関係ないんです。
自分の人生を自分で決断できて本当に良かったと思います。
今みなさんががんばってることは無駄じゃないんです。後で振り返った時じゃないとわからないものなんです。
そして、後ろに残して来た人たちからの評判なんて気にしなくて良かったんです。
あなたのことを悪く言う人とは、もう二度と会わなくても良いんです。
今がんばっているあなたに、ただそんなことを伝えたいです。
これからのAMO
トロントで暮らして、やはりヨーロッパに住みたいという思いが強いこともあり8月からドイツに引っ越すことにしました。
その後ドイツが気に入ればドイツに住むし、気に入らなければ違う国に行ってみようと思っています。
ビザのことは、「住もう」と強く想っていれば何とかなる気しかしないので、何とかなります。どうなったのかはこのブログでもシェアしていきますね(^^)
AMOの海外移住決意までまとめ
わたしはこのようにして海外移住を決意しました。
2013年 「アメリカで絶対に映画で成功してやる!」
2017年 「いつか海外に移住しよう!」→「彼と結婚すればイタリアに住める!!」
2018年 「自力で移住しよう!」
2019年 「もう絶対日本には住まない、働かない」
こうしてみると、この6年で少しずつ想いが変わっています。今後はどうなるのでしょう(*^_^*)
みなさんはどうですか?
日本で楽しく暮らせていますか?
がんばっているみなさんが、自分の心が癒やされ、楽しく過ごせる場所を見つけられるといいなと思います。
今日も読んでくれて
ありがとうございました!
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
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本当にありがとうございます。
もっと内容の濃いものを提供できるようにこれからも頑張ります。
誰かが読みたいと思ってくれたことが嬉しいです。(^^*)
AMO