First time abroad.. New Zealand!!初海外はNZでした。
以前のブログのリライトです。
わたしが初めて海外へ行ったのは二十歳の時でした。
実はそれまで一人で飛行機に乗ったことすらありませんでした。
そんなわたしが選んだ初めての留学先は羊大国ニュージーランドでした。
今日は初めての海外への道のりをみなさんとシェアしたいと思います。
*今日の目次*
留学を決めるまで
わたしはあまり海外に興味のある人間ではありませんでした。
そして第一志望の大学に落ちた後、滑り止めの大学は中学校の先生になるための免許を取得できる専攻でした。その専攻の中でも好きな科目を選んで専攻することができたので、歴史が好きなわたしは社会にしようかな〜と考えていました。
しかし提出の日。
母の「やっぱりこれからは英語が必要よね〜」という単純な考えによって希望専攻を書き換え、わたしは英語科に進むことになりました。
今思えば、これが大きな人生のターニングポイントでした。
そのまま何となく英語科に進んだわたしは何となく大学生活を過ごしていました。周りの学生と同じようにバイトをし、遊びに行き、たまに授業に遅刻したり、寝てしまったりする。そんな普通な日々を送っていました。
私たちの専攻では希望者は1ヶ月間カナダの提携校への短期留学に参加することができました。しかし、その費用は高額で、奨学生のわたしにはなかなか難しいものでした。
半分諦めていた時、札幌駅を歩いていると留学フェアの文字が目に入りました。友人とフラ〜っと入ってみた留学フェアで、ニュージーランドへの留学が安いと聞きました。
家に帰って調べてみると、その留学フェアを主催していたエージェントは高額のようだったので自分で違うところを調べていきました。すると、カナダ留学の約半額で留学が可能であるとわかりました。その結果、わたしはNZへの留学を決めました。
母の説得
そこからは母の説得です。
今まで一人で飛行機も乗ったことのないわたしが一人で海外へいくことを母は最初、反対していました。母子家庭で一人娘だったので母の心配も今では理解できます。
母を失った今、心配してくれる人の存在のありがたさを身にしみて感じます。
寂しい。(/ _ ; )
母は結局自力でNZについて調べ、治安がとても良いということで納得して送り出してくれました。そして留学費用は自分の奨学金とバイトで何とかするということで安心させました。
ちなみにわたしは学費もほぼ自分で払っていました。
いざNZへ!
今とは違い自分で情報を集めることも知らなかった私は、留学エージェントの方に促されるまま航空券を買い、安さ重視で手続きを進めていました。
その結果、私の往路は、
札幌(新千歳空港)
↓(1〜2時間)
羽田
↓(バスで移動)(1〜2時間)
成田
↓(10時間くらい)
ゴールドコースト(トランジット1時間)
↓(3時間くらい)
オークランド(入国!)
↓(バスで3時間)
マウントマウンガヌイ
と、丸一日以上かけての長旅となりました!初めての旅ということもあり、実際にはもっと長く感じました。
本当に初めての一人旅だったので、まず羽田から成田の移動でさえかなりハードでした。しかもギリギリの旅程だったので、「乗り遅れてはいけない!」と大急ぎで走ったことを覚えています。
ゴールドコーストでのトランジットが初の海外上陸だったので、実質初の海外はオーストラリアになりますが、そこは置いておきます。
ゴールドコースト空港では、今ではもう慣れましたが、ゲートの変更があってパニックでした。外国人をたくさんみるのも初めてで、内心「ひい〜!」と叫びながらドキドキして待ちました。
しかし最後のゴールドコースト→オークランドの飛行機では、隣の人が日本人で同い年だったので仲良く話すことができ、長旅が終わるのを感じました。(^^*)
空港での大事件
長旅を終え、最後の飛行機で仲良くなった日本人はなこちゃん(仮名)とともにバッゲジクレームでスーツケースを待っていました。
・・・が、
スーツケースが出てこない。
待っても待ってもわたしのスーツケースは出てきません。
はなこちゃんも30分くらい待っててくれたのですが、バスに遅れるということで最終的には先に行ってもらいました。
結局、いくら待っても私のスーツケースが現れることはありませんでした。
後日、ジェットスターのミスでスーツケースがゴールドコーストに置き去りになっていたことがわかりました。(その後、一度もジェットスターは利用していません。)
その際、英語も全然話せない状態だった私は、なくなったことも伝えられませんでした。母がもたせてくれた旅行用の英会話ガイドブックで調べ、
"I lost my baggage."
と空港職員に言ってみるも、伝わらず。
わたしは途方にくれてただただ泣いていました。
素敵な女性との出会い
その時、同じように荷物がなくなっていたアジア系の女性がいました。
その女性は英語がペラペラで、荷物がなくなったことを空港職員に説明していました。(ちなみにわたしは号泣していましたw)
彼女がわたしに話しかけてくれて、やっと彼女が日本人だと知りました。そして彼女はわたしの状況も説明してくれ、通訳として間に入ってくれました。
わたしは海外旅行初心者なので、なんと、お金をスーツケースに入れっぱなしという最悪の状態でした。
お姉さんは、わたしにお金まで貸してくれました。
キーウィ(ニュージーランド人)の旦那さんをもつその人に、
『お金返したいので連絡先を教えてください 。』
と言うと、
「お金は良いので、これでNZを嫌いにならずに、またNZに来てください。そしてAMOちゃんと同じように困ってる日本人がいたら助けてあげてね。」
と、まるで女神のような言葉で返されました。
その言葉を聞く時まで、わたしは自分の不運を呪っていましたが、その言葉を聞いて、なんて素敵な考え方なのだろう。と感動し、更に号泣してしまいました。
その方のおかげで、その後1ヶ月間のNZライフを満喫できました。ちなみに荷物は約1週間後にNZ$40の保証金と共に送られてきました。
その方は、後ほどわたしのホームステイ先に電話くれて無事を確認し、ホストマザーに説明までしてくれました。
その時の経験がわたしの人生に影響を与え続けています。留学で得た経験や体験した感動は人生の財産です!
その時、スーツケースを無事受け取れていたら、その素敵な女性と出会うこともなく、そんなあたたかい言葉をいただくこともなく、翌年にニュージーランドに再び渡ることもなかったのではないかと思います。
人との出会いはこんなにも簡単に人の人生を変えていくのだな、と今考えると不思議に思います。これからもたくさんの人と出会って、学び続けていきたいです。
その後もう一度NZへ留学しているのですが、その時の経験についてはnoteにまとめているので気になったらぜひ読んでみてください。
今日も読んでいただき、ありがとうございました!
♪───O(≧∇≦)O────♪
AMO