アメリカ留学でやらかした失敗ベスト321!ーCalifornia, USー
北海道をぐるーっと周る旅をしていました、AMOです。
悲しいことに全く電波のない地域が多く、ブログの更新が遅くなってしまいました。
今回はアメリカ留学でやらかした失敗のベスト3から紹介していきます。
ベスト4、5はこちらです。↓
クスっと笑ってもらえたらそれで十分ですし、今後留学に行こうとしている人の参考になれば最高に幸せです!ありがとうございます。
今日もゆる〜く読んでくださいね。
*今日の目次*
3位:免許の取得とお手入れで失敗
前回のブログで少し触れましたが、アメリカのバスはとても危険です。
(※2013年留学当時の話かつカリフォルニアのその地域だけかもしれません。)
そのため、数ヶ月前ツイッターで話題となったヒッチハイクでアメリカ横断中学生の話は本当に度肝を抜かれるほど驚きましたし、心配しました。無事に保護されて良かったです。
しかし色々な失敗が重なって家よりかなり遠いところの学校に通わなければならなくなってしまったことと、カリフォルニアの私が住んでいた地域では車がないとかなり行動が制限されることから、車の購入を決意しました!
カリフォルニア州の免許はその当時は一度の筆記試験と実際の運転試験を合格するのみで免許が発行されます。約30−40ドル前後だったと記憶しています。実際に発行されるのは1年以上後のことなのでそれまではテンポラリーライセンス(一時的なもの)を更新して行くことになります。
※情報は常に変わると思いますので必ずご自身で調べてください。
筆記試験は現在は変わっているようですが、当時はインターネットで解答を調べてから受験することができたので余裕で合格でした。
問題は、実技・・・
日本でも運転していたので運転に自信はあったのですが、何しろ左ハンドル、右車線!難易度高すぎです。さらに、カリフォルニアの運転免許試験の面白いところなのですが、受験者は自分で車を用意していかなければなりません。
つまり、自分で運転してその場所までいかなければならないのです!!
本来は保護者に運転してもらって付き添ってもらい受けに行くための制度でしょう。しかし、私はもちろん一人でアメリカに渡っていましたし、友人たちもまだ車どころか免許も持っていない状況でした。
ということで、本当はダメなのですが!!車を先に購入し、自力で運転してそこまで行くことにしました。もし警察に止められたら国際免許を見せてごまかすことにしました。
(※絶対に真似しないでください!)
私は日本人のサイトでトヨタ車を4000ドルで購入しました。(帰国時に2000ドルで売りました。)
運転も練習して行きましたし、試験官がいうであろう言葉も勉強して行ったので問題ないはずでした。しかし、ここで私はまた失敗をしてしまうのです。というかこの時は運が悪かっただけのような気もします。
試験の当日、私を担当したのはメキシカンの男性でした。
そして彼、なんと日本が大好きだったのです。
この時点で嫌な予感がしますよね。私も当時嫌な予感を感じました。
結果、彼は試験中ずっと片言の日本語で指示を出し続けました。ちなみに、全くわかりませんでした。
「電気!」(訳:ウィンカーをつける)
「後ろ前進!」(訳:バックする)
などなど。その結果、指示がわからず指示通りに運転できなかったということで私は落とされてしまいました。
「僕の日本語、最高でしょ?もう一度会いたいから、必ず次回もこの試験場に会いに来てね。僕を指名してね。名前覚えたから僕があなたを見つけるよ。」
と、流暢な英語で話した彼が忘れられません。翌週速攻で違う試験場を予約して合格しましたが、恐怖体験でした。いや、個人的な感情で落とさないでくださいよ…。
失敗ポイント★
日本好きな人には要注意すべきだった。
無事運転免許も取得して幸せなカリフォルニアライフの幕開けとなるはずでした。
しかし、ここで重大なミスを犯しました。
ある日の学校帰りにフリーウェイをすっとばしていると、フロントガラスの汚れが目立ってきたことに気がつきました。私は家に帰って車を洗車することにしました。
家に着くとその時のシェアハウスのオーナー(前回のブログのところとは別です。)がたまたま洗車中だったので一緒にしてもらおうと思い、車を隣に並べました。
そして部屋に戻り、外に出ると…。
フロントガラスに、がっつりヒビ入ってません!?!?
日系アメリカ人のオーナーは何を聞いても知らんぷり。僕は何もしていない、の一点張り。そんなわけあるか!!と当時の私は相当怒ったような気がします。だって、フロントガラス濡れてるし、絶対洗ってくれようとしたよね…。
後々調べたところ、外の温度は40度近く、かなり車体の温度が上がっているところに冷水をかけると小さな傷からひび割れることがあるそうです。もう、大ショックです。
フロントガラスを直すには500ドルかかると言われ、アメリカはみんな車ヒビ割れても乗るから大丈夫!ただ、もしまた飛び石とか当たったら急に全部割れることもあるからね!気をつけてね!ハハハ!みたいなことを車屋の陽気なメキシカンに言われて、その後フリーウェイでも飛び石が来ないようにスピードを抑えて運転せざるをえなくなったのです。
しかも、その時の口論が元で家を追い出されてしまいました。
今考えると、相当アメリカでは波乱万丈でしたね。
失敗ポイント★
自分の大切なもの(車など)からは目を離してはいけなかった。
2位:コーヒーショップで失敗
また記事が長くなってきてしまったのでここはサクッとまとめます。
私はアメリカ留学時代、コーヒーが大好きでした。
毎日必ず飲んでいて、コーヒーショップを巡るのが好きでした。
ある日、パネラカフェというコーヒー飲み放題のコーヒーショップで学校の課題に取り組むことにしました。
しかしなかなか課題が終わらず、コーヒーの消費量が徐々に増えていきました。
おそらく、ベンティサイズで5杯以上は飲んだと思います。
その結果、私はそこで急なめまい・腹痛・吐き気に襲われました。
店から出ようにも、立ち上がれない…
なんとか車にたどり着きましたが、こんな状態じゃ運転できない。ということでまた車中で時間を過ごし、最終的にやっとの思いで家にたどり着きました。
原因不明の体調不良は続き、2日間ベッドからほとんど動けませんでした。
友人のお母さんがカモミールティーを持ってきてくれました。
カモミールを飲むと少しずつ回復しました。
彼女曰く、
急性カフェイン中毒だろう。
とのことでした。
症状はかなり当てはまっていたので、その通りだと思います。
今はもうほとんどコーヒーは飲みません。
というか少量でも具合が悪くなってしまうようになったので、飲めません。
失敗ポイント★
自分の限界を知らなかった。
1位:友達を作ろうとしなかったという大失敗
これは声を大にして言いたいし、こんな失敗するの自分だけかもしれないけど、本当に後悔しているので全力で伝えさせてください。
留学したら友達作ったほうがいいよ!!!
経験者は語ります。
私は全然友人を作ろうと努力をしませんでしたし、どちらかというと人を避けて過ごしました。
一人でも楽しいことはたくさんありますし、できることも多くあります。
しかし、思い出に強く残るのは人と過ごした時間です。
私は学校以外で人と過ごした思い出はほとんどありません。一人旅をした時にカナダでできた友達はとても大切で今もつながっているのに、です。
アメリカに行った前年に私は母を亡くしました。
PTSDの症状は2年以上続いたので、アメリカ時代はまさに心が病んだ状態だったのです。
そのため、私は人とうまく話すことができず、話しかけられても厨二病のような対応をしてしまっていました。(「私は人とは違うから」など。今思い返すと本当に恥ずかしい。)
自分から心を閉ざしていたので学校以外の時間に友達と過ごすことはほとんどありませんでした。
でもそのおかげで制作活動に専念できた、という見方もできます。
だからきっと、バランスが大事なのだと思います。
友達と過ごして思い出を作る時間も絶対に必要です。
これは今は断言できます。私はもう少しアメリカを楽しみたかった。心の奥ではいつもそう思っていたのだと思います。もっと積極的に明るく過ごしていれば、きっと楽しい思い出ができたでしょう。
私はこれからドイツへ行くことが決まっていますが、絶対に積極的に人と会おうと思っています。仕事は家ですることが多くなるかもしれませんが、気軽にお茶のできる友人は絶対に欲しいし、そう思っている時はきっと出会えると思います。
自分が心を開いて接すれば、響き合う人に出会えるはずです。
まとめ
また長くなってしまいましたが(4000文字超え)、楽しんでいただけたでしょうか?
こうして思い返すと、私アメリカで失敗しすぎですね。汗
でもその失敗が必ず今後に生きてくると考えれば、失敗も嫌なものではないかもしれません。少なくとも私はそう思います。
より良い海外ライフのために、これからも明るく過ごしていきたいと思います!
今日も読んでいただきありがとうございました!
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AMO